私が、なぜ淡路島に移住したのか?その1

私が淡路島へ移住し、早5ヶ月になろうとしています。おかげさまで、だいぶ慣れてきました。

こんなご質問をよくいただくんです。

「知り合いもツテもないのに、なぜ、家族で大阪から淡路島へ移住したのか?」

Webサイトのオープンにあたり、淡路島へ移住した理由も、まとめておきたいと思います。

① なぜ移住したのか?
② なぜ淡路島なのか?
・番外編:淡路島へ移住して一年が経ちました!
・番外編:私が、移住して手に入れたかったもの

 とシリーズでご紹介します。

① なぜ移住したのか?

出産と東日本大震災を経験したことによって、自然に近いところで生活をしてみたくなったからです。

上の娘は、東日本大震災の2日後に産まれました。この出産と震災のおかげで、私の中にある「便利が最高」と信じていた価値観が大幅に変わりました。

ずっと大阪で暮らしてきたにも関わらず、出産前と比べ、住みにくいと感じることが多くなりました。
例えば、電車に乗ったり道を歩くたび、自転車や人や車にヒヤヒヤします。住んでいたマンションや仕事場では、子どもの泣き声や走り回る音に気を遣うことが多くなりました。
子どもは本来、動き回るのが自然だと思っています。それなのに、大人の都合で「早くしなさい」「静かにしなさい」「泣いちゃダメ」と言うことに不自然さを感じ、のびのび育っていくところを見たいと思うようになりました。

仕事柄、自然のものを取り扱うことが多くなってきたこともあります。出産と震災をきっかけに、私の食への考え方も大きく変化します。それまでの料理教室では、栄養価、便利さ、レパートリーの多さなどをメインでお伝えしていましたが、出産・復帰後は、日本人の根幹を作る、ダシのお料理を伝えることに使命を感じます。
 ※ [なぜ、ダシなのか?]にも詳しく書いていますので、よかったらお読み下さい。

それに伴って、野菜やお米など素材そのものが気になるようにもなりました。そういった自然のものが、都会では手に入りにくいものも出てきます。

母の田舎が長野にあり、お盆やお正月には長期で帰省していましたが、たまに行くのではなく、自然に寄り添い守られながら、生きていきたいと強く思うようになりました。

私の思う自然とは、長野に帰省していた時の思い出が大きいです。水と山がすぐ近くにあって、もぎたてのトマトやとうもろこしを食べたり、味噌蔵を覗きに行ったり、田んぼで走り回ったり、牧場の牛や豚・鶏を見たり、1両しかない自動販売機のついた各駅停車の電車に乗ったり。とっても楽しかったんです。

自然の中に自分がいて、自然に守られている安心感。こんな風に楽しかった!と思えるような思い出を、私も子ども達と一緒に作りたい、そして子ども達にも、将来何かのタイミングで思い出して欲しいと強く感じるようになりました。

移住するにあたり、住んでいたマンションの売却や、夫婦ともに仕事の折り合いもあります。どこに行くのか?どんな家に周りの環境が良いのか?など考えることは山積みです。
ですが、上の娘の小学校入学というタイミングも重なり、今しか無い!という突き動かされた何かがあったようにも思います。

次の記事は、② なぜ淡路島なのか? です。

たくさん自然に近い場所がある中で、なぜ淡路島を選んだのか?
夫婦の折り合いはどこでつけたのか?
仕事はどうするのか?

移住先を選ぶのに、どうしても譲れなかったこと、をお話しします。

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