大晦日と年越し蕎麦の由来について

平成28年も、あと4日で終わろうとしています。年末はいかがお過ごしですか?

毎年やってくる大晦日や年越し蕎麦の由来が気になり、ちょっと調べてみました。

大晦日の由来は、毎月の末日を晦日と言うことから来ていて、12月31日の大晦日は、”1年の最後の特別な末日”を表すため、末日を表す2つの言葉のそれぞれ“大”を付けて“大晦日”と言うのだそうです。

12月31日“大晦日”には1年の間に受けた罪や穢れ〔けがれ〕を祓うために、大祓い〔おおはらい〕が宮中や全国の神社で執り行われます。仏教色が強い夏のお盆に対して、正月の行事の1つである大晦日は新しい年の穀物に実りをもたらし、私たちに命(年)を与えてくださる歳神様を祀る意味を強く感じます。
昔、1日は夜から始まり朝に続くと考えられていたため、大晦日は既に新しい年の始まりでした。そのため、この日に縁起物であるお頭〔かしら〕付の魚を用いた正式な食事やお雑煮などを家族揃って食べるなどします。これを“年越し”、“年取り”といいます。年越しの夜は除夜〔じょや〕ともいいます。かつて、除夜は歳神様を迎えるため一晩中起きている習わしがあり、この夜に早く寝ると白髪になる、シワが寄るなどの俗信がありました。

日本文化いろは事典 より引用しました。

今では、1年最後の特別な日を飾る大晦日の年越しですが、昔は大晦日は新しい年の始まりとされ、正式な食事やお雑煮をいただいていました。今でも地方やご家庭によって、続いている習慣です。実際に私も、信州の田舎では“お年取り”と言って、大晦日にお節料理やお蕎麦をいただいてました。年越しの夜、遅くまで起きてても許されていたのはこういう理由があったのですね。

ご家庭によって違いはいろいろあれど、大晦日には蕎麦をいただく方が多いのでは無いでしょうか。年越し蕎麦をいただくことは、江戸時代から受け継がれている食習慣だからこそ、今でも「蕎麦を食べないと、1年が終わる気がしない」という方もいらっしゃいます。

そこで今回は、大晦日と年越し蕎麦の関係についてお話します。

  1. なぜ大晦日に蕎麦をいただくのか
  2. うどんでもラーメンでも無く、なぜ蕎麦なのか?
  3. 今年の締めくくりに、簡単で美味しい年越し蕎麦のダシを作ろう

1.なぜ大晦日に蕎麦をいただくのか

他の麺類よりも切れやすいことから、大晦日にいただくことで「今年一年の災厄を断ち切る」という意味もあるのだそうです。 金箔職人が飛び散った金箔を集めるのに蕎麦粉を使ったことから、年越し蕎麦を残すと翌年金運に恵まれないと言われています。また、江戸時代の町人は大晦日になると借金の返済に追われていました。これは、年内に借金を返済し、新しい気持ちで新年を迎えたい人が多かったからだろうと言われています。

2.うどんでもラーメンでも無く、なぜ蕎麦なのか?

蕎麦は長く伸ばして細く切って作る食べ物です。細く長くということから「健康長寿」「家運長命」などの縁起をかついで食べるようになったという説が一般的です。長生きと言えば、蕎麦に含まれる代表的な栄養素に「ルチン」があります。毛細血管の壁を強くする作用がある、高血圧を予防すると言われています。ルチンは水溶性なので、蕎麦を食べる時にはルチンが溶け出しているそば湯を飲んだ方が良いとされてきましたが、現在では、そばのルチンはほどんと溶出しないことがわかってきています。

3.今年の締めくくりに、簡単で美味しい年越し蕎麦のダシを作ろう

毎年、年越し蕎麦はどうされていますか? 買ってきて家で食べる?それとも手作り? 食べに行くなら、決まったお店がありますか?

大晦日に蕎麦ダシを作るのは、大変そうだと思うでしょうか。これが意外と簡単にできるんですよ!

蕎麦と言えば、美味しいダシがセットですよね。意外と手をかけず、それでいてプロのような蕎麦ダシの作り方をお伝えします。材料は、昆布・鰹節・塩・醤油・みりんの5つです。今回の蕎麦ダシでは、※追い鰹という裏技を使います。これは蕎麦ダシだけでなくいろんな料理にも活用でき、とても便利です。

紅白歌合戦を見ながらうたた寝をして、夜に年越し蕎麦を食べ、除夜の鐘をきいて「あけましておめでとう」を家族で言い合う・・・そんな小さい頃からの習慣が今でも続いています。若かりし頃、カウントダウンのイベントへ夜中に出かけてみたりと、途切れたこともありましたが、脈々と受け継がれていくものなんですね。

一年の計は元旦にあり なんて言葉もよく聞きます。気持ちよく大晦日を迎え、元旦へ繋いで行きましょう。次の記事では、失敗しない蕎麦ダシの作り方をお伝えします。

今年の年越し蕎麦は、蕎麦だけ買って、蕎麦のダシをお家で手作りしてみて下さいね。

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私が、なぜ淡路島に移住したのか?その2

  • たくさん自然に近い場所がある中で、なぜ淡路島を選んだのか?
  • 夫婦の折り合いはどこでつけたのか?
  • 仕事はどうするのか?

移住先を選ぶのに、“どうしても譲れなかったこと” を、お話しします。

【私が、なぜ淡路島へ移住したのか?その1】からの続きです。

・番外編:淡路島へ移住して一年が経ちました!
・番外編:私が、移住して手に入れたかったもの

も合わせてご覧下さい。

② なぜ淡路島なのか?

私たちの以上への道は、自然に近い暮らしを目指して進むことになります。今回は、47都道府県さまざまな地域がある中で、なぜ淡路島を選んだのか?についてお話していきます。

1)田舎暮らしのイメージ

なぜ、私が淡路島を選んだのか?その1でもお伝えしたように、私の思う田舎暮らしというと、信州で過ごした環境となるわけですが、実際に自分が暮らしていくとなると無理だなと思うこともでてきました。

ここで改めて、私の持つ田舎暮らしのイメージです。

  • 基本は自給自足
  • 古民家に憧れている
  • 買い物が不便、閉店時間が早い
  • 車が無いと生活できない
  • 都市部に出るのに時間がかかる
  • 近所つきあいに馴染めるか不安
  • おしゃれして出かけるところが無い
  • 娯楽が無い

ある程度イメージできるものもありますが、自給自足できるかな?古民家に住めるかな? やってみたい気持ちもあるものの、悩んでても答えは出ません。

迷ったことは、実際に大阪で疑似体験してみました。(というか、自然にそう選んでました。)菜園を借り、野菜を育てます。芽が出るのも収穫もワクワクするし、品種のことを教わると奥深さにドキドキします。楽しくて土を触ってるだけで幸せでした。でも、自分で自給自足をしたいわけじゃなく、収穫近くにお邪魔してお手伝いする程度で十分だとわかりました。マンションを売却し、淡路島に変わるまでの間、古民家が仮住まいでした。古民家生活を経験した数ヶ月、すきま風に耐えられなかったり、お風呂が古く狭かったりで水回りは新しい方が良いと発見できました。

もともと朝型なので、早起きは得意です。閉店時間の早いのはあまり問題ではありませんでした。オシャレも大阪にいてもしたりしなかったりで、これは場所には関係なかったし、車は欲しかったので望むところです。娯楽が無いのは、インターネットもあるし、なんなりできるだろうと思いました。あとは、近所つきあいができるか?の不安は残りましたが、これは実際住んでみないとわからない、ということで落ち着きました。

 

2)夫婦のすり合わせと移住先の決定

 

移住してすべてをリセットし、一からスタートという意識もなく、どこに住んだとしても、大阪へは気軽に行きたいと思っていました。夫婦の中で、大阪に近いところというのがありました。お互いの実家も大阪ですし、何より大阪から離れて住んだこともなく友人も多くいます。

自然の近くには住むけど、ある程度の便利さは欲しいというのが、夫婦の一致した点でした。夫と私の、田舎とはどんなものか?というズレもすごかったです。何度と意見交換もしました。

そんな中で、移住に当たり、住環境で譲れなかったことは

  • 大阪に近いこと
  • 買い物など便利であること
  • 家が新しく一軒家であること
  • 食材が豊富にあること
  • 水が流れ、山の緑が近くにある

これらをザッとあげたとき、一人ツッコミした記憶があります。「こんな条件の場所があるんか?」と。田舎に住む意味があるのか?なんなら移住しなくてもいいんじゃ?とも思いました。お金が豊富にあるわけでもありません。引っ越し費用もかかるし、車も購入しなくちゃいけない。大丈夫か??と思いました。でも、なぜか無理だとは思わなかったんですよね。

そして地域を選ぶわけですが、大阪近郊ということは必然的に近畿圏になります。近畿圏と言えば、奈良、和歌山、京都とあるものの、夫婦ともに兵庫県を選んでいました。

私は、2年ほど前から仕事や心理学の勉強で、神戸や姫路に行くことが増え、馴染み深くなっていました。知らず知らずのうちに、何度も足を運んでいたんですね。

この、なんとなくであったとしても夫婦で、兵庫県が良いと一致してたのは大きかったと思います。

 

3)夫婦の仕事について

 

夫は介護福祉士です。この一年は移住の予定があったのですぐに動けるようにと、非常勤で仕事をしていました。淡路島では、一からの職探しではあるものの、10年ある勤務経験をだいぶと考慮してくださったようです。

一方、私は、大阪の料理教室を閉めた後、淡路島で自宅の一室を教室としています。今は、大阪や神戸に出向く仕事が多いですが、今後はバランスをとりながら淡路島を拠点に日本の良さを、日本へ、世界へ発信していきます。

 

4)揺れ動く気持ち

 

「本当に自然しか無いよ」と、実際に住んでいる人に言われ続けました。それでも行きたいか?と自分に問うと、答えはGO!です。場所次第だ、ということに落ち着きます。

淡路島と定めた4月。海も山もあって、食材も豊富やんか!!大阪・神戸にも近い!すごい理想的だと思いました。
でも、決まりかけて本当にここでいいの?という、自分の不安と葛藤がでてきました。島だということ、橋を渡るというのが怖く感じました。何かあったら孤立してしまうのか?とか、台風や津波・地震は大丈夫か?とか・・・でも、今現在、何も起こってない。ないことを気にしても仕方がない。本当にどうしたい?と何度も自分に問いかけました。やはり、答えはGO!でした。

移住に際しても、自分が本当はどうしたいのか?これが一番大切だと思いました。揺れ動く気持ちもOKだと思えたこと、それも当然だと思えたことが大きかったです。だからどうしたいの?と常に自分と対話して決めてから、夫はどうしたいのか?を確認し、何度も話し合いました。夫にも譲れない部分はあります。二人の一致する着地点を探す、ということに心を向けました。

ある程度イメージが固まってきたら、誰かに相談することも大切だと思います。自分を客観的に見れたり、情報を得ることもできるからです。自分の中で答えを持ってないうちに相談すると、意見を聞くたびにブレます。例えば、心の中ではAだと決めているとします。そう言ってくれる人を無意識に選んで相談してたりしますよね。なので、ある程度定めてから背中を押してもらう、情報を得るというスタイルを、ずっととっていたようにも思います。

これってすべてのことに共通してますよね。

 

5)移住までの流れ

 

2015年11月:マンションから同じ大阪市内の古民家へ引っ越しします。

娘の小学校入学(2017年4月)のタイミングで移住の予定でしたが、どうせ行くなら早く土地に人に馴染んだ方が良いということになり、移住の日程が早まります。この期間、今後の話をしながら、夫婦の意識のすり合わせをしました。

2016年3月:丹波篠山、三田市へ。

結果的にはどちらも選びませんでしたが、ここを回ったおかげで新興住宅地でも無く、太陽の光をたくさん浴びられて、水が多いところが良いと、希望が定まりました。

2016年4月:初の淡路島へ。

NPOあわじFANクラブさんの移住担当窓口というのをネットで探し当て、いきなりメッセージしてアポを取り、家族でおしかけました。親身に話を聞いて下さいました。20年ほど前に旅行で行っただけの淡路島、夫は初めてです。どうしても淡路島じゃなくては!という意気込みは、このときは正直ありませんでした。これが返って、移住の譲れなかった事柄を冷静に見れたのかもしれないと今になって思います。

2016年6月:再度、淡路島へ。

泊まってゆっくり過ごします。日帰りで帰るよりも季節感も時間の流れもよくわかりました。そして、実際に子育て世代で一軒家に住む、移住の先輩のお話を聞く機会を作っていただきました。とてもありがたかったです。どうせ行くのならと、ある程度物件を探してから淡路島へ行きました。無事に思うような物件も見つかりました。

2016年7月:大阪から引っ越し、今に至ります。

淡路島には一度行ってみたかった、とか、よく淡路島を知ってたりと、大阪の友人・知り合いたちが頻繁に訪れています。私の構想どおり、大阪へは毎月、神戸には2週間に一度は、仕事で通うようになりました。

 

6)現在の暮らしから今後のこと

 

子ども達の方が、淡路島での生活になじむのは早かったです。地元の情報は、夫の職場の方からいろいろ教わって助かっています。大阪と比べ、保育所のことや役所での手続きなどがいろいろ違っていて大変だなーと思うこともあったものの、終わればなんてこともなく、今では日の出・日の入りを家の中から味わえることに幸せを感じています。
ご近所さんも、周りがほとんど移住者というミラクルで、良い感じでおつきあいさせてもらっています。

淡路島へ移住すると決めてから、国生みの地がここ淡路島だったと知りました。自分の役目はいろんな意味での橋渡しなのでは?と改めて考えることが多くなりました。ダシのお料理という、日本人の土台をつくる活動をしていることと、国生みの淡路島を選び、暮らしていることは決して偶然ではないと思っています。神話の勉強会も、淡路島でスタートしました。国生みのことをしっかり知ろうと思います。

今後は、日本の原点でもある、ここ淡路島から、日本の良さを発信していきたいと考えています。それに賛同してくれる人が、わんさか集まってきてくれたら良いな。同じ想いの方々とも繋がっていきたいと思います。

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【料理からの解放レシピ】味噌汁&カレーうどん

こんな時ありませんか?

◎同じ野菜ばっかりで飽きてきた。
◎朝に夕食の準備もして、ごはん作りから解消されゆっくり出かけたい。

旬の野菜は、安くて栄養満点でもあるものの、ご家族が少なかったりすると、何日も同じものを食べ続ける・・・という事態に陥ります。レシピのレパートリーが豊富な方は、本領発揮というところですね。ですが、乏しいと思っている方には、なかなかの苦行だと思われます。

今回ご紹介する方法だと、味噌を入れるだけ、カレールーを入れるだけ、なので深く考えることもありません。
忙しい毎日の中で、“料理を作らなければならない”という強迫観念のようなものからも解放されるというメリットもあります。私も料理を作ることは好きですが、やらねばならないと思った時点で、だんだん嫌になります。

家事の中でも、料理が苦痛だと感じる人も結構おられます。これは、“料理をやらねばならない”が先に出てしまってるからだと思うんです。きっと、作る工程を楽しめて食べてくれた人が美味しいと言ってくれたら、「料理って良いな、好きだな」って実感できると思います。

そこで今回は、朝に “味噌汁” 夜に “カレーうどん” をご紹介します。野菜の切り方も同じで良いし、同じ具材で二品できるのが魅力的です。
帰ってきて温めたらすぐ食べられる料理があるって幸せで、安心しますよね。

今回は、小松菜・タマネギ・えのきを使いました。えのきと昆布を入れることで、とろみがつくので、水溶き片栗粉も入れません。これも時短の1つです。
ダシは、昆布と宗田節を使っています。宗田節が無い場合は、鰹節で大丈夫です。

作り方はこちらです。

1)適当な大きさに上記の具材を切り分けます。
2)大きな鍋に、ダシと具材を入れ煮込んでいきます。
3)15分くらいすると宗田節や具材からもうま味がでてきます。
4)朝食の味噌汁分を取り分けます。
5)4)に味噌を、3)にカレールーをそれぞれ加えていきます。
6)カレーうどんの仕上げに、薄切りの豚肉を入れます。

先日、私はこれを作ったおかげで、ごはんを作らなきゃの想いから解放され、国生みの原点でもある沼島へゆっくりと遊びに行ってきました。

貴方なら、この空いた時間どう過ごしますか?

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私が、なぜ淡路島に移住したのか?その1

私が淡路島へ移住し、早5ヶ月になろうとしています。おかげさまで、だいぶ慣れてきました。

こんなご質問をよくいただくんです。

「知り合いもツテもないのに、なぜ、家族で大阪から淡路島へ移住したのか?」

Webサイトのオープンにあたり、淡路島へ移住した理由も、まとめておきたいと思います。

① なぜ移住したのか?
② なぜ淡路島なのか?
・番外編:淡路島へ移住して一年が経ちました!
・番外編:私が、移住して手に入れたかったもの

 とシリーズでご紹介します。

① なぜ移住したのか?

出産と東日本大震災を経験したことによって、自然に近いところで生活をしてみたくなったからです。

上の娘は、東日本大震災の2日後に産まれました。この出産と震災のおかげで、私の中にある「便利が最高」と信じていた価値観が大幅に変わりました。

ずっと大阪で暮らしてきたにも関わらず、出産前と比べ、住みにくいと感じることが多くなりました。
例えば、電車に乗ったり道を歩くたび、自転車や人や車にヒヤヒヤします。住んでいたマンションや仕事場では、子どもの泣き声や走り回る音に気を遣うことが多くなりました。
子どもは本来、動き回るのが自然だと思っています。それなのに、大人の都合で「早くしなさい」「静かにしなさい」「泣いちゃダメ」と言うことに不自然さを感じ、のびのび育っていくところを見たいと思うようになりました。

仕事柄、自然のものを取り扱うことが多くなってきたこともあります。出産と震災をきっかけに、私の食への考え方も大きく変化します。それまでの料理教室では、栄養価、便利さ、レパートリーの多さなどをメインでお伝えしていましたが、出産・復帰後は、日本人の根幹を作る、ダシのお料理を伝えることに使命を感じます。
 ※ [なぜ、ダシなのか?]にも詳しく書いていますので、よかったらお読み下さい。

それに伴って、野菜やお米など素材そのものが気になるようにもなりました。そういった自然のものが、都会では手に入りにくいものも出てきます。

母の田舎が長野にあり、お盆やお正月には長期で帰省していましたが、たまに行くのではなく、自然に寄り添い守られながら、生きていきたいと強く思うようになりました。

私の思う自然とは、長野に帰省していた時の思い出が大きいです。水と山がすぐ近くにあって、もぎたてのトマトやとうもろこしを食べたり、味噌蔵を覗きに行ったり、田んぼで走り回ったり、牧場の牛や豚・鶏を見たり、1両しかない自動販売機のついた各駅停車の電車に乗ったり。とっても楽しかったんです。

自然の中に自分がいて、自然に守られている安心感。こんな風に楽しかった!と思えるような思い出を、私も子ども達と一緒に作りたい、そして子ども達にも、将来何かのタイミングで思い出して欲しいと強く感じるようになりました。

移住するにあたり、住んでいたマンションの売却や、夫婦ともに仕事の折り合いもあります。どこに行くのか?どんな家に周りの環境が良いのか?など考えることは山積みです。
ですが、上の娘の小学校入学というタイミングも重なり、今しか無い!という突き動かされた何かがあったようにも思います。

次の記事は、② なぜ淡路島なのか? です。

たくさん自然に近い場所がある中で、なぜ淡路島を選んだのか?
夫婦の折り合いはどこでつけたのか?
仕事はどうするのか?

移住先を選ぶのに、どうしても譲れなかったこと、をお話しします。

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和の心とは、喜ぶ顔を思いながら集まること

12月に入り、街並みもクリスマスムードが漂ってきました。ライトアップの綺麗さに目を奪われ、寒さも、日々の忙しさも、一瞬忘れますね。淡路島に住んでからというもの、大阪では当たり前だったライトアップの景色を、懐かしく思います。

ところで、大切な方へのクリスマスプレゼントはもう選ばれましたか?

我が家は昨年、品切れでヒヤヒヤしたことを教訓に、子ども達のクリスマスプレゼントはすでに用意しました。サンタクロースを信じる我が子達は、とても気持ちよいリアクションをしてくれます。

クリスマスは諸説あるものの、イエスキリストの生誕を祝う日だと言われています。すべての人がクリスチャンでもないのに、イベントにして楽しんでしまうところ、日本の懐の広さを感じます。

冬は、クリスマスだけではなく、お正月、節分、バレンタインデーなど、イベントが続きますよね。寒い日が続くからこそ、人と触れ合って、みんなで温かくなるイベントが多いんだよと教わったことを思い出します。

喜ぶ顔を思いながら集まる。まさしく、和の心ですね。

和の心と言えば、12月からスタートした【和の心を学ぶ ~神話からのメッセージ~】の中でもご紹介しています。
前回は12月23日の天皇誕生日もあり、天皇陛下は日本の象徴であると教わりました。
日本は、八百万の神の神道の考え方に基づき、すべての事象(森羅万象)に神様が宿るという考え方が、日常生活に今でもたくさん根付いています。

ペア割についてのお問い合わせがありましたので、こちらでもお応えしますね。ご家族やお友達とでご参加くださいました方につきましては、ペア割引をさせていただきます。

お二人様で8000円(一人当たり4,000円)となります。ご予約の際、ペア割とご記載ください。

第2回目は、1月21日(土)です。1年の始まりでもある、1月です。古事記から、神話からどんなメッセージを受け取ることができるでしょうか。素敵な1年のスタートにしたいですね!

ご予約・詳細はこちらから。⇒ 【和の心を学ぶ ~神話からのメッセージ~

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