私が、私のお母さんになる

 突然だけど、私は、私のお母さんになりたかったんです。

どんなお母さんになりたかったかというと、

 どんなことがあっても、どんな腹黒い自分がでてきても、
 そうなのか。と、受け入れて取り込む。受容する。

 話を聴くこと、応援すること、欲しいものは欲しいと言えば良いし、
 行きたいところに行って良いんだよって教えてあげる。

そんなお母さん。海や水のようなイメージ。

 対する、私の思う子どもって、喜怒哀楽すべての感情を、ストレートに素直に認めていること。
それが人間本来の姿だし、喜・楽が良くて、怒・哀がダメなんてのは、大人が勝手に決めたことだと思ってる。

 大人になっても心が詰まってると、便秘だったりして身体が詰まってるよーって、症状で教えてくれてるもんね。
 
 ってね、今でこそそんな風に思えるようになってきたけど、私はずっと周りの反応を気にして生きてきた。

 相手が喜んでくれているか、役に立てているか、怒らせていないか、気分を害していないか
そんなことばっかり気にして、自分のことよりも他人の機嫌を優先させてきたんですね。
他人の言動ばかりにフォーカスしてるから、自分がどう感じてるかまでの余裕はない。

 とは言え、これもやらされてたわけでなくて、自分の中にもちゃーんとメリットがあったんですよ。
無意識でだけど、見返りでお母さん的存在を求めてました。
 
 私が相手にとってお母さん的な存在になれば、私にもしてくれるかもしれない。

 改めて意識すると、腹黒っ(・∀・)!!

 見返りありきで人に優しくしてたんかーーい!!w

 よく言われませんでした?
 人にしてほしいことは、まず自分からするってね。

 そのとおり素直に実践してたわけですが、たぶん片手落ちで理解してたんだと今なら思う。

 相手に同じことは求めない。やりたいからやってるだけ。
 ここがごっそり抜け落ちたまま、見返り求めての優しさを実践してました。

 でもね、返してくれる人もいるんです。
お母さん的存在で、全部受入れようとしてくれる。
優しいし、見返りなんか気にせず、大切にしてくれる人が現れる。

 本当はそうして欲しかったくせに、
いざそうなると、びびって受け取り拒否し、人間不信になる。

 なんともまぁ、意味不明な言動を繰り返してきました。

「あの人は何か必ず見返りを求めているはずだ」って他人を疑い、
何かお返しをしなくてはいけない。が、グルグル回る。

 もう、自作自演のコント(・∀・)

 結局、私自身に受け取る準備ができてなかった。ってことでもあるし、
自分の価値をおとしめてたのは、誰よりも自分自身だったということだし、

 実は、欲しい欲しいって言いながら、あまり必要としてなかったのかもしれない。

 自分で自分のお母さんになれば良いんだ。
子どもの自分を、私が思う存分、出させてあげたら良いだけだったんだ。

 って、今になってようやく思えるようになりました。

 大人になってもいつでも子どもの自分に戻れる。
楽しいことにワクワクしながらむかっていくこと。
自分の喜怒哀楽を、自分が一番知っていること。

 そんな私の中の子どもの部分を開花させたのは、料理でした。

 ②に続きます。

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