こんなこと考えてみたことありますか?
・起こる出来事は、自分の無意識が起こしているのだとしたら?
・なんか上手くいかないなー、気が乗らないなってことがあったとしたら?
・それでもやめずに続けてたらどうなるか?
・いつか上手くいく?気が乗るかもしれない?
こういった一連の出来事を通して、自分の無意識が「気がついてよ」ってサインを送ってきてるとしたら?
→ そのサインを無視し続けることになるわけですね(゜Д゜) がーん
振り返ってみたら、私の人生ってほとんどこれだったかもしれません。
・頑張り続けていると、いつか報われる。
・報われたとしたら? もっともっと頑張らなきゃ。それを維持するために。
頑張るという漢字は、頑(かたくな)に張(は)る、とあります。だからあまり良いように捉えらえていない方もいらっしゃいます。
「今も頑張ってるのに、もっと頑張れってかーー!鬼かーー!(゜Д゜)」ってね。
だから、顔晴る と、漢字を替えて使っておられる方もいます。そうやることで気持ちが楽になるのなら、方法としてはありかもしれません。
が、「どっちも楽にならないわ」と言う方と、一緒に考えてみたいことがあります。
そもそも、がんばろうという根っこの想いって何なんでしょうか。
・辛いけどがんばる?
・しんどいけどがんばる?
・大変だからがんばる?
辛い、しんどい、大変・・・ベースがあまり楽しくないことですね。
(ここが踏ん張りどころというシチュエーションもあると思いますが、ここでは日常的なことで例えますね。)
もし、がんばるのをやめたら、どうなるでしょうか。また辛くなる、しんどくなる、大変になる、ということになります。だから頑張り続けなければならない、というループに陥ります。これはつらい。やめたくてもその先を考えると、怖くてやめられないですよね。
私はそういう経験を、大阪にいるときに存分に味わってきたのに、がんばるクセがなかなか抜けられず、淡路島に来てもだいぶとあがきました。
こちらにも載せてます。移住して1年で思うこと
どうなってたかというと、面白いくらいに仕事へのやる気が起きなかった。気持ちが乗らないから、当然上手くいかない。仕事の量も減る。余計に焦る。上手くいかない、気が乗らないと、自分の無意識は出来事を通してサインを送ってきてくれてたにも関わらず、がんばり続け、無意識からのサインを無視しづけてきたのは、気づくことが怖かったからです。
そこを通り抜けたように感じている今、がんばらなくても幸せだったということも、だんだんとわかってきました。
反対に、根っこの想いが楽しいと、やりたくてやっていることだからいつでも見直せる。
結果、やりたくないのに頑張り続けるということが無くなるんです。(余裕が無くなってくるとがんばって料理する、という表現になるときがあります。これは自分の中では危険信号)
何が言いたいか、というと
不安の上に成り立つがんばるを、もう卒業する!という宣言を、ここでしたいのです。
◎ やりたいから、がんばる。
◎ 楽しいから、がんばる。
ここを限りなく目指す、ということ。
ワクワクの上に成り立つがんばるを、これからは追求していきます。
まだお知らせできないこともあるけど、仕事の内容も変わります。手放すのは怖いけど思い切って飛び込んでみようと思います。
仕事は、ワクワクするものだけ。拠点は淡路島での活動です。
そして、女性のメンタルと食を応援することをメインにします。メンタルだけ・食だけ整えても人は幸せにはなれないです。毎日の生活の中からの体験を、両方からアプローチしていきます。
私に会いに淡路島へ来て下さい。今後、気軽に来ていただけるようなお話し会も企画します。
そして、楽しいからがんばる!を、一緒に目指しませんか? 絶対楽しいよ(・∀・)
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