ずっと抱えてきたことがあります。
人の目を気にして、思ってることを言えなかった。
あれ、なんか怒ってる? 私なんかした?って。気になってしまう。私のことで怒っているかどうかもわからないのにね。そう決め込んでいる。
空気が違うのを察知できるのは、とても役立っていることではあるんだけど。
今になってみて、ようやく向き合う許可を自分が出せて、自分に質問してみたんだよね。
言えなかった思ってることってなんだ?
それを言うと、どんな影響があるって思ってる?
この質問をしたことで、ベースになる出来事があったのを思い出した。さかのぼること、小学生低学年の私。当時住んでいたマンションでのご近所さんとのやりとりで、母がイライラしていたことがあった。どういった流れで原因でそうなったかは定かでは無いけど、周りにいるママさんのことを、あの人は変な人だ、悪い人だって。いろいろ言っていた。
今なら、直接本人には言えないから、家で発散してただけなんだろうなってわかる。愚痴りたいときもあるわなー。長野から大阪へ嫁いできた母親は知り合いも少なく、友人との関係を育む間も無く、すぐに私が産まれた。怒濤の新婚生活だったんじゃないかと思う。第一子は不安なことも多いし、ささいな言葉の違い、文化の違い、などなど、歯がゆいこともたくさんあったと思う。
その当時の私にはそこまで理解できて無かったと思うけど、ひとしきり話を聴いてて、なんとも的確でサラッと悪びれもなく質問する。
(周りにいるママさんのことを、あの人は変な人だ、悪い人だって。いろいろ言っていたのを聴いてて)
「お母さんは良い人なの?(^∇^)」
「…(絶句)
…だと、思ってるけど」
的を得た質問だったと、今でも感覚で覚えている。本質を見抜く力はこのときからあったんだよね。きっと。
この時、言葉にならないけど、ただならぬ空気を感じたんだよね。サッと空気が変わった。・・・やばい。嫌われたら私は生きていけない。自分を守る本能みたいなものが瞬時に働く。
嫌われるのが怖い
母親から嫌われたくない私は、思い当たることがあっても言ってはいけないとルールを決める。
他の人に対してもこのルールは引き継がれていく。子ども、夫、友人、周りの人。大切に思う人にほどそれが強くなる。嫌われたくないと想う人にほど言えなくなっていく。伝えたいことがあっても、直球だとまた引かれるかもしれない。嫌われるかもしれない。
だから、オブラートに包むような遠回しな言い方してみたり、例えを出してみたり、もしくは私さえ、我慢したらいいんや。と、歪曲した思い込みをふくらませていく。
この思い込みをブチ破るきっかけになったのは、カウンセラーの学びをしてから。しんどくなってたのもあるし、健気に必死に守ろうとしているものもそろそろ手放してもいいかもなって思えるようになってきた。
ハピネスフォースメソッドでの受講生さんたちとのやりとりや、カウンセリングの練習中、家族とのやりとり日常生活の中ででも、話を聞いてるうちに、こう言う思い込みがあるからしんどくなってるんじゃないか?というのが浮かんでくる。
相手の深い部分から、私の無意識に伝えてくるメッセージがある。
本質に近いものだと、ご本人にとって目を背けたいことかもしれない。感じないようにいろんな理由をつけて回避してたかもしれない。私もずっとそうだったから何となくわかるんだよね。
今は怖がってる場合ちゃうなーって、勇気を出して伝えてみる。私の力で無い何かが、手をさしのべてくれてるような気もしていて。フッと俯瞰的に、相手と繋がってる自分が見れる瞬間がある。
母親と同じリアクションをする人もいるけど、しない人もいる。
たとえ同じリアクションをされても、ドキドキするけど今はもう怖くない。
このルールを、視点を変えたら楽になれるだろうの予想は、今のところハズレなし。だと思う。
でもこれは、伝えたいスイッチが入った時だけ。誰にでもそうできるわけでなく、この人今が変わりどころだなっていう感覚があったときだけなんだよね。
私という筒を通して、それを伝えるだけ。ってイメージかな。
自分の本質に迫るって、ときに痛みを伴うこともあるけど楽しいなぁ。
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